学生からやりたいことを選んで就職をする。
少なからず希望を持って社会人になるのだけれど社会に出ることでいろいろな壁がはだかります。
そのときに挫折したらその後どうなってしまうのでしょう。
結論として。
その挫折はかなり辛いものとなります。
ただその挫折は数十年後から見ると悪いことばかりではなくその経験をうまく利用してしまえば成功のもとになる。
- 私の経験した挫折。
- 何も出来なくなる。
- 自分で冷静沈着に自分の人生を進めていく。
1 私の経験した挫折。
私の挫折はちょうど就職して7年後30歳の頃です。
学生から社会人になるその当時なかなか就職の採用がなく、ようやくやりたい職種に就くことが出来たのですがそれがなかなかの長時間労働とまたその時代は軍隊のような会社でした。
ただ仕事自体は向いている仕事なので自分の仕事力を磨いてい
きました。
ただ案の定仕事がそういう会社のため、刺激が強いので言葉を控えますが先輩がいなくなってしまい、その頃くらいから仕事しながらも間違ったことがあると私はかなりピリピリしていて上司とぶつかることがありました。
30歳になった頃仕事の忙しさもピークが来ていて高速道路のパーキングエリアで疲れから仮眠し気づくと朝になり一度家に帰宅しすぐ出社を繰り返す日々で、ちょうどその頃に結婚もして環境が大きく変化したタイミングでもありました。
そして引き金になったのは役職のある上の先輩から流せばよかったんですが「弱い立場から契約を取れよ。」といわれ「そもそもやり方が間違っているのでは?」と私の一言から「じゃあわかってるよな。」ここからがつながっていた上層部よりメールや共有で見れる報告書などのコメントが見れたものではありませんでした。
ただ共有ともあり同期がそれをみて信頼出来る上司に報告してくれたおかげもあってあとで謝罪がありました。
そんなこんなで結構流せていて大丈夫だったのですが、今思えばそのときにはもう睡眠も食事も精神的にも限界を超えている状況で参っていたんだと思います。
ある日出社し会社の駐車場に到着すると車から降りられなくなったのがその日最後の勤務でした。
2 何も出来なくなる。
限界を超えてそれでも無理すると普通の生活すら出来なくなってしまう。
家からも一歩も出られなくなります。
原因となるその仕事をやめたとしても次簡単な仕事だとしても全く出来る気がしなくなってしまいます。
この時期に助けられたのは妻がいたので一緒に散歩したり買い物に一緒に行ったり会社から離れ外に出るそのような毎日でした。
特にはじめは買い物に行くだけでもきつかったのを覚えています。
ただ3ヶ月程仕事から離れたことで不思議と心のリセットされます。
本当にやりたかったことは何だっけ。
心の中にまだやりたい気持ちが残っている以上は終わるわけにはいかない。
その後仕事から離れ考えもまとまった事もあり仕事に復帰する。
少し今までとは違い燃えるような仕事というわけではなく少し客観的に仕事に取り組むことで仕事とのドライな関係というのかうまい具合にラフに進められるようになりました。
復帰した際に気づいたことは会社の仲間や一部上層部にも私のファンがいることを知りました。
間違いを正し一度踏まれどん底から這い上がる姿に応援したくなるという人もいてこっそりと声をかけてくれる上層部もいました。
またそこから復帰後はこのまま定年まで続けていく自信もビジョンもすべて無くなっていたので出世の話は30歳の時にきっぱりといまは自信がないので断りました。
その後はある程度客観的に物事を見ていたせいか恵まれた環境で尊敬する上司がいることに気づいたり、仕事も任せられ会社ではそれなりに結果も残していましたが、あの日以来時計の針が止まった感覚だけは拭いきれませんでした。
3 自分で冷静沈着に自分の人生を進めていく。
人生の中で早めに挫折してよかった点としては、30歳で収入が半年間激減したこと。
その際に就職してから継続していた先取り貯金は妻と相談し継続させてもらいました。
ただ月の収入より先取り貯金を含めると目減りしてしまう現実から、保険の見直しと車の税金やバイクの税金を一度洗い出しました。
その際まだ子供もいなかったのですが、おおよそ子供にかかる費用なども遠い未来を見つめながら資産形成を進めました。
そこから月日が流れ子供が誕生し上長と話し合いをして「このまま一線で活躍するか、少し休憩するか」を話して一線から離れる決断をします。
その後月日は立ち38歳の時につみたてNISAを始める際にコロナショックが起きたタイミングと仕事で新しい取り組みをする際に新しい上司から反対意見があり「そこまで求めていない。」との言葉で不思議と一気に吹っ切れ止まっていた針が8年の歳月を経て音を立てて動き始めました。
20代の時から簡易的なチャートを見ていたのでチャートが全く読めませんでしたがそこそこ相場感も感覚的に備わっていたのもあり持っていた保険と積立ててきた貯金を一気に株式に切り替え現在は、配当金が発生する生活になりました。
40才になりようやく自分らしい生き方が出来るようになりました。
挫折はおそらくその時点での話であり未来をばっさりと切り開くためにあるのかなと考えています。
挫折をしたことで自分が無くなる訳でなくて現実を受け止めた新たな自分に成長する事だ。
まとめ。
私の挫折はちょうど就職して7年後30歳の頃です。
学生から社会人になるその当時なかなか就職の採用がなく、ようやくやりたい職種に就くことが出来たのですがそれがなかなかの長時間労働とまたその時代は軍隊のような会社でした。
ただ仕事は向いている仕事なので自分の仕事力を磨いきました。
ただ案の定仕事がそういう会社のため、刺激が強いので控えますが先輩がいなくなり、その頃くらいから仕事しながらも間違ったことがあるとかなりピリピリしていて上司とぶつかることがありました。
30歳になった頃仕事の忙しさもピークが来ていて高速道路のパーキングエリアで疲れから仮眠し気づくと朝になり一度家に帰宅しすぐ出社を繰り返す日々でその頃に結婚もし環境が変化したタイミングもありました。
そして引き金になったのは役職のある上の先輩から流せばよかったんですが「弱い立場から契約を取れよ。」といわれ「そもそもやり方が間違っているのでは?」と私の一言から「じゃあわかってるよな。」ここからがつながっていた上層部よりメールや共有で見れる報告書などのコメントが見れたものではありませんでした。
ただ共有ともあり同期がそれをみて信頼出来る上司に報告しあとで謝罪はありました。
特にそのことでも結構流せていて大丈夫だったのですが、今思うとそのときにはもう睡眠も食事も精神的にも参っていたんだと思います。
ある日出社し会社の駐車場に到着すると車から降りられなくなったのがその日最後の勤務でした。
限界を超えてそれでも無理すると普通の生活も出来なくなってしまう。
家からも一歩も出られなくなります。
原因となるその仕事をやめたとしてもし次簡単な仕事だとしても全く出来る気がしなくなってしまいます。
この時期に助けられたのは妻がいたので一緒に散歩したり買い物に一緒に行ったり会社から離れ外に出るそのような毎日でした。
特にはじめは買い物に行くだけでもきつかった。
ただ3ヶ月程仕事から離れたことで不思議と心のリセットされます。
本当にやりたかったことは何だっけ。
心の中にまだやりたい気持ちが残っている以上は終わるわけにはいかない。
その後仕事から離れ考えもまとまった事もあり仕事に復帰する。
少し今までとは違い燃えるような仕事というわけではなく少し客観的に仕事に取り組むことで仕事とのドライな関係というのかうまい具合にラフに進められるようになりました。
復帰した際に気づいたことは会社の仲間や一部上層部にも私のファンがいること。
間違いを正し一度踏まれどん底から這い上がる姿に応援したくなるという人もいた。
またそこから復帰後はこのまま定年まで続けていく自信もビジョンもすべて無くなっていたので出世の話は30歳の時にきっぱりと断りました。
その後はある程度恵まれた環境で尊敬する上司がいることに気づいたり、仕事も任せられそれなりに結果も残していましたが、あの日以来時計の針が止まった感覚だけは拭いきれませんでした。
人生の中で早めに挫折してよかった点としては、30歳で収入が半年間激減したこと。
その際に就職してから継続していた先取り貯金は妻と相談し継続させてもらいました。
ただ月の収入より先取り貯金を含めると目減りしてしまう現実から、保険の見直しと車の税金やバイクの税金を一度洗い出しました。
その際まだ子供もいなかったのですが、おおよそ子供にかかる費用なども遠い未来を見つめながら資産形成を進めました。
ちょうど38歳の時につみたてNISAを始める際にコロナショックが起きたタイミングと仕事で新しい取り組みをする際に上司から反対意見があり「そこまで求めていない。」との言葉で一気に吹っ切れ止まっていた針が8年の歳月を経て音を立てて動き始めました。
元々浪費家と20代の時から簡易的なチャートを見ていたのでそこそこ相場感も感覚的に備わっていたこともあり持っていた保険と積み立ててきた貯金を一気に株式に切り替え現在は、配当金が発生する生活になりました。
40才になりようやく自分らしい生き方が出来るようになりました。
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