生活をしていく上で異なる土地でいろんなところに住む事が好きな人、または同じ土地で気の合う仲間と生活する事が好きな人と色々な価値観があります。
ここで同じ場所同じ景色でも時間軸が違うとまた違うものになるのだなと感じる。
結論として。
同じ場所、同じ建物でも時間軸が違えばそれは違うもの。
ここからわかる事は、今現在のその時間、気の合う仲間を大事にすることが価値があるという事です。
- 当たり前の事が当たり前ではない理由。
- その時その場所で。
- だからこそ。
1 当たり前の事が当たり前ではない理由。
今生活していて当たり前の生活は、実はそこまであたりまえではない。
今過ごしている職場や習い事など楽しい事もあれば辛い事もあります。
ただこれが一生続くかというとゆっくりと変化していくのが自然な事です。
一番わかりやすいのは、今見ている景色が30年後に見ている景色とでは、同じでも何かしら変化している。
例えばみんなで頑張っていた習い事があるとします。
そこには建物が建っていて先生や仲間達当たり前の日常が繰り広げられますが、30年後その景色を見てみんな元気かな?と思うとき、その建物は同じでも中で活躍している人は入れ替わっています。
そう客観的に考えた場合何を感じるのだろうか。
2 その時その場所で。
以前私が空手をしていた時、8歳の頃に兄貴と空手を始めました。
その際、年の離れた兄貴なので子供の部が終わった後、私は大人の部も兄貴と一緒に練習を継続していたので同じように練習に励んでいました。
そして30年の時が流れ子供が空手をやりたくなり私も保護者として始める事になりましたが、その際に兄貴からあの練習量と厳しさの世代が再び道場にいく事が少し誇らしく感じていたのでおそらく当時の兄貴は20才前なのでそれが心の誇りになっているのかと感じました。
その時その場所で共にした仲間が現在も活躍する事でその周りの仲間たちも時を超えてエネルギーになるのだと感じます。
3 だからこそ。
このように考えた場合やはり原点に返る事が出来ます。
それはだからこそ今大切な人との時間を大事にしたい事とそれが時が過ぎたとしても大切にしていきたい事です。
あえて現在にいたとしても30年後にどうなっているのかを少しだけ考える事で大切な事が何かが気づけるのだと感じます。
まとめ。
いま私たちが過ごしている生活が実は一番幸せな事なのかもしれません。
たとえ仕事が辛くとも嫌な人がいたとしても実際はその嫌な事を排除した場合、価値が一番あるかもしれません。
実際時が大きく流れて気づくこともあれば時が大きく流れなくても気づける場合もあります。
それは現在から30年後先を想像してみると分かります。
そうすると同じ景色でも中身は全く変わります。
例えば職場で考えてみると30年後は同じ建物だとしても、中で活躍している人たちは私たちでは無く別の人たちです。
またそこにいるのは私では無く後輩たちが新たな仲間たちと協力して物事を進めている事でしょう。
そう考え現在に思考を戻した時に何が大切でまたいったい何に悩んでいたのかを一度整理してみましょう。
意外に悩んでいたことは小さなことで本当はもっと大切な物や気の合う素晴らしい仲間との時間が価値ある事なのかもしれません。
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